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 2013年より始まった大阪の幼稚園オーガニック給食にとある
宮崎県の自然農の農家と複数のメンバーが、将屋グループ農園
として農産物の供給が開始された・・・


一般的な給食費予算内に価格を合わせて、生産流通を試みるも、やはり採算がとれない状況・・・

 

もともと、子供たちの食べ物でお金儲けする気もなく、損しなければそれでヨシと開始したものだから、それでよかったのだと思っています。

 

メンバーは自然農と自然の中から、植物と微生物環境の大原則が共生によって成り立っていること「自分以外を生かす仕組み」に気づいていた。

 

だから、採算を度外視した生産活動と出荷は自信満々に続けられた。

翌年の秋、出荷用のカボチャ150玉が、目の前で野生の猿50匹に奪われた・・・
 

手も足も出ない状況を指をくわえて見ているしかなかった。

数日後に幼稚園にむけて出荷され、幼稚園で調理される予定のものだった。

幼稚園には1ヵ月の決められた献立メニューがある。

これを可能な限り変更せずに遂行するために、

幼稚園側は苦肉の策をとるしかなかった・・・・

この年のカボチャは、メキシコや韓国から輸入されてくるものを多く使用することとなってしまった・・・

「自分以外を生かす」チームは、他を生かすことも、自分たちを生かすこともできなかったのである。

その夜、チームで緊急会議が行われた。
「猿の駆除(猟友会に依頼して射殺)」

「電柵設置(電流の流れる柵を設置して侵入を防ぐ。しかし、子供や小鳥など小動物は死ぬ)」

など意見が出るもののすべて「他を殺す」となるものだった。


私たちはそれを殺し農法と言っていた。

微生物が植物を生かし森ができる。

豊かな植物の世界に人間は生み出されたようなものだ。
 

その植物を逆に人間が作った場合に沢山の根本的エラーが生じるのは、自然原則は破れない証そのものであるということ。
 

しかし、その自然の真実の原則を優先すれば、現代社会のルールの中で生活では逆に生きにくくなる。


そんなことを子供たちに教育できるだろうか・・・

私たちは、そんな人間都合のルールを実践することはできなかった。
しかし、猿やその他の動物から畑を守る対策には答えが見つからない。

長い沈黙が空気をさらに重くした。

ネガティブな空間のなかで、ジョークやユーモアさえ否定されるかのように聞き逃されて、それが更に言葉数を減らしっていった・・・

沈黙の2時間は、重く長かった・・・

 

心の中で皆が、もう答えが出ない、成り行きの先の諦めを想像しているだけだった。

そして、その暗い判断を覚悟していた。

皆の心が暗く閉ざされ、最後の光が消えかかっていたその時、一人の仲間が輝きを放った!


「ボク、猿の分もつくるわ!」


たった一言で、

皆が生き返った。

しかし、元々採算が取れない給食用の栽培に、カボチャだけでも幼稚園150玉、猿150玉と労力も土地も今の倍になるのは明らかな答え。

どこに行くにも破れたズボンで生活を続けるメンバーではあったが、

そういう覚悟には一歩も引かない、むしろ勇んでそれを選択できる大いなる変人たちだった。

本当の健康とは、食べ物の栄養だけで成り立つものではない。

「心」がカラダと一体化されている人間の構造を考えれば、心と体の成長のバランスは必須栄養素のようなものではないでしょうか。

『猿の餌を子供に食べさせるのか!』

そんな、ことを言う大人もいた。

「だったら、オメェの懐で良いもん食わせろや!」

その一言で片付くものが大半だったが、

中には『オマエたちは、それで生活しているんだろ!』

と、どうしても私たちを封じたい大人もいた。

私たちの生活の中に、確かにそれはある。

ただ、活気のある生き方、生かして活きるといった生活であり、また子供たちが喜んで食べている姿を想像したり、保護者から「子供の野菜嫌いがなくなった」と聞いて、活気生かされていたわけで、金銭的な裕福さとはかけ離れたものを得て、エネルギー元にしていただけだ。

みんなお金がなかったけど、心は誰よりも幸せに働けていた。


近所の農家や取引先たちにはバカにされていた。

やれることをやれる限り尽くした。


そこに流れてくる金銭は乏しいものだった。
 

2015年に入って、この農園と土地は売却するしかない状況になった。選択する権限も私たちには無いところまできた。

 

大きな壁は、遠くから見えていたが、情熱だけでそこに向かっていき体当たりで挑んだ。

しかし、10数名の全力闘争は厚く高い壁に軽く跳ね返され、

壮絶なこの活動期間が何もなかったかのように一瞬で真っ白にされ、

2015年12月にこの農園での志は幕を閉じました。

猿たちから給料はもらえない。

 

給食に出荷するすべての工程を含むと、給料どころか維持費すら厳しい現状だった。

 

しかし、子供たちはこの大自然と心ある野菜で成長した事実。
 

人間の開発により山の食材で足りなくなった猿も、カボチャや野菜を持って帰り元気に生きた事実。

人に見えない事実は残っている。


今、猿はどうしてるだろうか?

ほかの畑に行き殺されてしまったかもしれない。

現代の産地とは、そういうものだ。

関わった10数名のメンバーも解散し、トラックのドライバーや、自分たちが生きるために道を転換するしかなかった。

「ボク、猿の分もつくるわ!」

 

私たちは、このユーモアを忘れない。

 

you more(ユー モア)
君たちは、まだまだもっとできる

 

自然や携わった様々な縁と無責任な猿がそう言っていると強く信じた。

当初、100名前後だった園児たちは、今150名を超えた。

 

失ったものは、お金、お金で失ったのは大人だけ。

だったら容易いもんだ!
 

大阪の本拠地で、残った諦めの悪い一人が、野菜をかき集めて最後の悪あがきを続けた。


長くは続かない悪あがきに過ぎなかった。


それを知った一般の消費者たちが声を上げ始めた。


そして、幼稚園出荷維持に向けてチームが結成された。


このオーガニックトレインズです。

チームメンバーは、虹の戦士を想像し、七代先の未来と子供た
ちまで生かす盤石な仕組みづくりを試みた。


野菜に値段をつけてお金の流れをつくる方法ではなく、なにをやっても必ず流れているお金の場所から、用水路を引く方法を考えた。

 

そのお金の流れのあるところお金のインフラを同時に進めながら、食と農のインフラを行うプロボノパブリックな働きである。
 

しかしながら、それぞれが所得を向上させることにも成功。
時代に乗れなかった者が、自ら時代をつくり始めました。

現在、このオーガニックトレインズは大阪を中心に全国に仲間が、

増えていっています。

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